読み物:ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が科学史の一ページとなる
マイクロソフト、ワシントン大学、そしてTwist Bioscienceは協力し、ロックの名曲「Smoke on the Water」とジャズの名作「Tutu」をアーカイブ品質でDNAに保存することに成功しました。

「火事だ!皆さん、落ち着いて出口へ向かってください。落ち着いて!」1971年末、モントルーのカジノ・バリエールで演奏していたフランク・ザッパは、こう警告を発しました。観客の一人が撃った照明弾が木造の天井に突き刺さり、建物全体を飲み込む大火災が始まったのです。
その場にはハードロックの先駆者、ディープ・パープルのメンバーも居合わせていました。彼らは翌日からローリング・ストーンズのモバイル・スタジオを使い、6枚目のアルバム『Machine Head』をこのカジノで録音する予定でした。
避難したディープ・パープルのメンバーは、レマン湖の対岸から焼け落ちるカジノを見つめました。煙は山風にあおられて湖面にたなびき、炎は夜空を赤く染め上げました。
その体験から生まれたのが、ロック史上最も象徴的な楽曲のひとつ「Smoke on the Water」です。印象的なリフとソロで彩られたこの曲は、火災の翌日にはすでに録音され、1972年3月にリリースされた『Machine Head』に収録されました。
歌詞にはモントルー・カジノ火災の様子がディープ・パープルの視点から描かれています。
”Smoke on the water, fire in the sky
Smoke on the water
They burned down the gambling house
It died with an awful sound
Funky Claude was running in and out
Pulling kids out the ground”
ここで登場する“Funky Claude”とは、モントルー・ジャズ・フェスティバル創設者の故クロード・ノブスのことです。彼は消防団のボランティアとしても活動しており、この火災で多くの命を救いました。のちにギブソン社のインタビューでノブス自身が語ったところによると、ディープ・パープルがこの曲を披露した際、リリースを強く勧めたのも彼だったそうです。現在この記録は、クロード・ノブス財団とローザンヌ工科大学(EPFL)が進める「モントルー・ジャズ・デジタル・プロジェクト」によって保存されています。
そしてこの「Smoke on the Water」は、音楽史にとどまらず科学史にも名を刻むことになりました。ディープ・パープルがモントルーで演奏した記録とマイルス・デイヴィスの「Tutu」が、DNAにエンコードされたのです。
マイルス・デイヴィスは20世紀を代表するジャズの巨匠であり、1970年代から1991年に亡くなるまでモントルーで新しい実験的な音楽を披露し続けました。彼の影響力とフェスティバルへの貢献は、クロード・ノブスによる録音をまとめた20枚組アルバム『The Complete Miles Davis at Montreux』にも刻まれています。
今回のプロジェクトは、Twist Bioscience、マイクロソフト、ワシントン大学の協力で実現しました。「Smoke on the Water」と「Tutu」のデジタルデータをDNAの4つの塩基(A, T, G, C)にアーカイブ品質でエンコードしたのです。コレクション内の他の記録は10年ごとに更新が必要ですが、DNAに保存されたこのデータは数千年先まで劣化しません。DNAは生命の設計図であり、自然界が選んだ究極の情報保存媒体。このプロジェクトは、DNAによる初の本格的なアーカイブ保存の実例となりました。
世界的音楽プロデューサーであり、長年フェスティバルに関わってきたクインシー・ジョーンズも、この取り組みを称賛しています。「ナノテクノロジーの進歩で人間の寿命は延び、生活の質を高める発展も増えるでしょう。そのためには歴史にアクセスできることが大切です。従来のアーカイブは信頼性が低いため、未来の世代が文化遺産に触れられなくなることを危惧していました。だからこそ、このフェスティバルの歴史をDNAに保存する試みに、私は心から喜びを感じています。音楽のために異なる文化が一堂に会するモントルー・ジャズ・フェスティバルの美しさが、永遠に失われることはないのです」
2040年までに、世界の膨大なデジタルデータを保存するためのシリコン資源は枯渇すると予測されています。DNAストレージはその解決策であり、このプロジェクトはDNAが研究段階を超えて実用に足を踏み入れた最初の瞬間といえます。これはTwist Bioscienceによる高品質な合成DNAと、マイクロソフトおよびワシントン大学の高度なソフトウェア技術の成果です。
デジタルデータをDNAに保存する方法について詳しく知りたい方は、Twist Bioscienceのブログ記事「DNAはデジタル革命を加速させるか?」をご覧ください。さらに深く学びたい場合は、ホワイトペーパー「DNAを用いたデジタルストレージ : Learn How DNA is Being Used to Store Digital Data」をお読みください。
イラスト:Martin Krzywinski
ディープ・パープル「Smoke on the Water」の歌詞はすでにDNAに変換されています。文字、空白、句読点のすべてがDNAの三つ組の塩基配列で表されます。例えば “smoke” は GACCGACGTCAGAGC となります。一般的にデジタルデータをDNAに符号化する際は4進法を用い、各塩基(A=00, C=01, G=10, T=11)が2ビットの情報を持つ仕組みです。

